みなさんこんにちは。
相変わらず咳はまだ続いています。
セキは酷いときと酷くないときの緩急が激しく、症状が不安定です。
ただね。先日対策はしました。
原因を掴んだんですよ。私は!!
この咳の原因はほぼ間違いなく、部屋のホコリです。部屋の汚さが原因です。
なぜなら、過去、急性気管支炎になったときも、部屋のホコリが原因だったからです。
今回も症状的に急性気管支炎っぽいので、ホコリが原因だろ、と自分は察しました。
ちなみに前回の記事で語った急性気管支炎が一ヶ月続いたっていうのは、自衛隊の新隊員教育時代(前期)の頃です。
※自衛隊の新隊員教育は前期教育と後期教育に分かれている。前期教育は自衛隊の基礎を学ぶ。
後述しますが、一ヶ月も長引いたのはセキが続いた状態で普通に訓練に参加していたからだと思う。だから地獄でした。セキ出てるだけじゃ休むわけにもいかないからね。
まあそんなわけで、大掃除をしました。これがセキへの対策です。
過去記事を遡ったところ、部屋の掃除をしたのは4月16日だったので、そこから一切掃除をしていませんでした。
掃除前は“汚部屋”という言葉がピッタリで、歩けばホコリが舞うような状態だった。布団と毛布なんか、1年以上干さずにそのまま使ってますからね。暑いけど、面倒だから夏も毛布で過ごしてました。
そんな環境で過ごしているんだから病気にも掛かるわってなりますよね。
セキが出てしんどいけど、ここで掃除しなかったら一生“ホコリハメ”食らうので、頑張って掃除を終わらせました。
そして今に至る。セキは出るけど、部屋がキレイになったので気分的には爽快です。
では、ちょっと自衛隊時代の昔話へ。
自衛隊時代の急性気管支炎の話
さて、先述した自衛隊時代の話を少ししましょう。
まあ、部屋の環境が酷かった。急性気管支炎になったのはホコリまみれの毛布が原因です。
昔のケータイに画像が保存してあるので、紹介します。
この緑色の毛布が、俺にセキ地獄をもたらした諸悪の根源。
毎日ベッドメイクするたびに、この緑色の毛布から出るホコリを吸っていて、それで急性気管支炎になりました。
急性気管支炎になったあとの前期教育はほぼマスク常備で過ごしてました。完全にホコリ恐怖症でした。
余談ですが、この写真は前期教育の最終日に撮影しました。前期教育が終わり、新隊員達がそれぞれ後期教育の地へ順番に去っていく、そんな悲しい日でした。別れを惜しんで涙を流していた隊員も結構いましたね。
(そのまま同じ駐屯地に残って後期教育を受ける隊員も多かったけど)
約3ヶ月間、苦楽を共にした同期の別れなので、泣くのも分かります。自衛隊の新隊員教育ってかなり“青春”しています。
自分は募集が1枠しかない某駐屯地を希望し、後期はそこで教育を受けることが叶いました。その希望の駐屯地へ行くために、体力錬成とか勉強頑張っていたので希望が通ったときは嬉しかったです。
余談終わり。
自衛隊の新隊員教育には“対話帳”という、班長(新隊員を教育する上司)と交流する日記を毎日つけることが義務になっていたんですけど、そこでも急性気管支炎について触れていたので、これを機会に原文ママで晒します。
5月7日(月)
GWは気管支炎のせいで全然運動ができませんでした。まだ運動できる状態ではないので、しっかりと治してから体力錬成を頑張りたいと思います。
5月8日(火)
今日は、午前中は何とか訓練に参加できましたが、午後はかなりしんどかったです。
こういう訓練に参加出来ないのは悔しいと思いました。GW中にしっかりと体力を付けようと思っていたのにずっと寝込んで、休みが明けてもまだ治らず、どんどん体力が落ちていくのが辛いです。
早く治ればいいのですが、熱は無いので訓練に出ざるを得ない。
もしあと一週間近くセキが続いて体力錬成も出来なかったら一度退職して再入隊もありでしょうか?
こんなに体力が落ちて後期に行っても役に立たないと思いまして。同期に遅れをとるのが悔しいです。
かなり弱気になっているのが分かりますね。この頃はかなりやる気ガチ勢だったので、体力錬成出来ないのが本当に悔しかったのを覚えている。退職を考えるほどネガティブになっていましたが、班長の支えも有り、辞めずに続けることが出来ました。
急性気管支炎が治ったあとは、休日はあまり外出せずに駐屯地内で体力錬成に励んでいました。周りの同期はみんな外出しちゃうんで、広い営内で残っている新隊員は自分含めて2、3人とかそんなレベルでした。
休日に駐屯地内で走っていると、当然駐屯地内の上官たちもうろついていたりするわけで、そのたびに「お疲れさまですっ!」って言うのが面倒でしたねw
※新隊員の頃は周り全てが上官なので、すれ違う人全員に敬礼しなければいけません。
まあそんな感じで、急性気管支炎を乗り越えたあとは結構頑張っていました。
教育期間中は同期と大喧嘩したりもしました。書き起こすと長くなるので、内容は画像を見てください。
要は、協力する意思が無さすぎる部屋の同期にキレた話です。1部屋8人の共同生活をしていたんですけど、そのうちの1人が、いつも何を考えているか分からなくて、非協力的で、我慢の限界を超えてしまいました。
このケンカした相手とは仲直りすることもなく、ずっと仲が悪いままで終わりました。自分より年上の同期が居たので、その人にこのケンカ相手の世話を任せていました。
自衛隊話は以上。昔の対話帳を眺めていると、忘れていた記憶がスッっと浮かんでくるのが面白い。こんなことあったな~って。
自衛隊時代と違って、今はセキが出ている状態で運動なんかしなくていいから、そのときよりは治りは早いと思います。今回、気管支炎と判断しているのはあくまで自分自身なので、実際の症状は断定できませんけど。
ではではさようなら。