今日、夢を見ました。
夢の中の期間は数ヶ月くらいあったのに、起きたら数時間しか経っていなかった。夢って凄いなと思いました。
いきなり小学生並みの文章で申し訳ない。以降も小学生並みの文章が続く。
どんな夢かというと、よくわからん新米兵士になって訓練を受けている夢だった。夢だからよくわからん。唐突になんか始まって訓練とか教育みたいなものを受けていた。
夢の中なのに、目が覚めた直後は謎の疲労感があった。夢だけど現実みたいな。みなさんもそういうのあると思います。怖い夢を見て汗がドッと出たりするのとか、そういう類のものと同じようなもので。
しかし、疲労感だけでなく充足感みたいなものもあった。
この夢を見る1日か2日前、昔を懐かしんで対話帳を眺めていたのだ。だから、これが夢に影響したのかなと思う。班長と交わした対話帳を眺めながら、自衛隊の新隊員教育、キツかったな~と物思いに耽っていた。
※対話帳……自衛隊の新隊員教育のときに、班長に毎日の出来事を報告するためのノート。交換日記のようなもの。全くロマンティックではないが。
前日に64式小銃の分解結合の訓練をしたとき、ネジが緩かったということで反省を食らった。両腕を前方に出し、銃を水平に持って、武器庫からグラウンドまでのハイポート。前期教育は64式小銃という旧式の重い銃だったので、銃を使った反省はハードだった。
身体で覚えさせるっていうのは自衛隊では大事だ。こんな酷い目に遭えば、次から分解結合でこんなミスはしなくなる。
入隊から半月も経たない内に、人を殺せる本物の銃を持つ。自分の銃が割り当てられる銃授与式は流石に緊張感があった。銃授与式は、銃に刻印された番号を叫びながら銃を受け取ります。
銃授与式の動画がYouTubeにあったので貼っておきます。まんまこれです。今はこういうのもネットで公開されるものなんですね。
後期教育のほうが遥かに地獄だったのだがそれはまた別の話である。後期教育は89式小銃だったので、重量が軽くなるぶん反省や訓練はラクになるだろと思ったら、前期教育と比べ物にならない地獄だった。自分が教育隊の時点で辞めたいと思ったのは後期教育だった。結局辞めなかったが、同期の何人かは耐えられずに辞めていった。
……話を戻す。そんな対話帳を眺めたあとに見た夢が、よくわからん兵士になって訓練を数ヶ月(夢の中での体感)受けている夢だったのだ。起きてから、再び昔のことを思い出す。
ここで思ったのは、「若い時の苦労は買ってでもせよ」というのが、本当にそうかもなと感じたことだ。
結局、昔のことを思い出すのって楽しかったことよりも辛いことのほうが多い。陳腐な言葉になるが、「辛かったけど今となっては良い思い出だな~」と思う。
自分の人生が終わる時、たぶん真っ先に思い出すのは“何でも無い楽しいこと”よりも、“辛かったけど良い経験になった”ことなのかなと、ふと思ったのです。
ともすれば人生はラクな道よりも苦労な道を選んだほうが最終的に充実、満足するのではないか、ということなんですけど、自ら進んで苦労の道を選ぶのはとても難しい。なんせ、その苦を受けている最中は辛いものでしかないから。
だから自分は、そこから逃げてラクな道をずっと選んで、いまやベテランの引き篭もりである。
ただ、自衛隊で少しは辛い経験をしておいて良かったなって思うのが、自分の人生における唯一の救いかもしれない。
もはや身体はブクブクに太って、自衛隊時代の面影というのは心に残る記憶しかないのだが、あの頃は青春してた。むさ苦しい男まみれの生活だったが、とにかく青春していた。
その出来事、経験が心の中に僅かでもあるだけで、自分の人生すべてが怠惰ではなくて良かったと思える。