ひょんなことがキッカケで太宰治の小説を読むことになったのは過去の記事で語りました。
一応そのキッカケを改めて説明しておくと……
1.脱引き篭もりの一歩として、2020年1月22日より漢字検定2級の勉強を開始する
2.四字熟語の“寸善尺魔”を覚える
3.“寸善尺魔”は太宰治の小説「ヴィヨンの妻」で使われていたと記されていて、そこで興味が湧いて太宰治の小説を読むことになった
4.「ヴィヨンの妻」が面白かったので、それ以外の太宰治作品を読んでみた
……というわけです。
自分が読み終えたのは下記の7作品です。この中だと「眉山」が一番好きです。とても短くて読みやすいので、オススメです。
・眉山
・グッド・バイ(未完なのが惜しい)
・パンドラの匣
・人間失格
・ヴィヨンの妻
・走れメロス
・トカトントン
「人間失格」をKindle Unlimitedで一昨日読み終わりました。殆どの方が既に読んでいるであろうタイトルだとは思いますが、恥ずかしながら、自分は生まれて初めて読みました。
今回は「人間失格」について語りたい。
言わせてもらうと、主人公の“葉蔵”は全然人間合格でしょうと言いたくなりました。
凄い生きづらい人間に思えるけど、それでも自分よりかはよっぽど人間らしい人間に思えました。
人間を極度に恐れているから“道化”を演じているとのことでしたが、それって、多かれ少なかれみんな同じではないでしょうか。“素”の自分を曝け出して世の中を生きている人っていますか?
自分も、他人を恐れています。長く引き籠もっているのは他人が怖いから。そして、自分の人間としての底の浅さを見抜かれるのが怖いから。怖い。見下されるのが分かりきっているから。ブログだったら、ゲームのことだけ、好きなことだけ自分で語っていればそれでいいから、ブログの中の世界の自分は、楽しくいられる。
だが、現実に踏み出してみると違う。現実に出てしまえば、自分はゲームしか詰まってない、中身スッカスカの人間なんです。頭も悪い。物覚えも悪い。だから、バイトもすぐ辞めました。言葉にしなくても、“侮蔑の視線”が伝わってくるのが分かるんです。誰からも尊敬なんてされないし、侮蔑の対象にしかならない。
自分がリアルの能力に特化したものがあるとすれば、それは他人の顔色、機嫌を素早く察知することでしょう。「この人は自分のことを嫌っている、見下している」というのが容易に分かります。
上、自分が幼稚園にいた頃の写真です。オドオドしていて、他人の顔色を窺っていそうな雰囲気が出ていますよね。まさにその通りです。泣き虫でしたし。バカでしたし。既に父親の“躾”による影響を受けていたと思われる。酒を飲んで暴れる父親が怖かった。この写真を見て思い出したけど、この水筒は好きでした。ボタンを押して、冷たい麦茶が出てくるのが、好きだった。
そんな卑屈な性格が役に立ったのは、4年間過ごした自衛隊時代くらいですかね。必要以上に他人の顔色を窺うということは、必要以上に気を遣う、ということでもあり、その気遣いが同室の先輩から好かれたのか、仲良くなることが出来ました。その先輩というのは、自衛隊を辞めた今でも尊敬しています。後輩の自分に対しては辛い顔を見せたことがないし、レンジャー訓練を終えて骨と皮だけになった姿を見たときには畏敬の念を抱きました。自衛隊のレンジャーって頭おかしいですからね。良い意味で。
レンジャー訓練というのは、筋肉ムキムキだった先輩が骨と皮だけになって帰ってくるほどに壮絶なんです。風呂場でガリガリになった先輩の身体を見た時は絶句しました。レンジャー隊員は、左胸にレンジャー徽章を付けています。レンジャー徽章を付けている人は、壮絶な訓練を乗り越えたヤバい人達というわけです。駐屯地内でもレンジャーの訓練風景が視界に入るときがあるのですが、まさに地獄の様相を呈していました。
この人が、自室の先輩で良かったと心から思っている。この人が部屋の先輩じゃなかったら、自分は結構怠けていたんじゃないかな。本当にストイックを地で行くような厳しい先輩だった。他人だけでなく、自分自身にも厳しいからこそ、心の底から尊敬していた。今でも、人生の中で一番尊敬している人です。
他の部屋の先輩って結構おちゃらけてフレンドリーな感じの人が多かったんですよ。だから、新隊員教育を終えて中隊配属されたとき、「お前の部屋はハズレだ」みたいなことを先輩にも言われたんだけど、自分からしたら、まあ最初は確かに居心地は悪かった(先輩が恐ろしすぎて)けど、自衛隊生活を終えてみれば、「この先輩で良かった」と思うのです……。この先輩は、後輩とあまり仲良くするようなタイプではなかったので、そんな厳しい先輩と仲良くなれたことは、誇らしくもあった。ジャイアンにくっつくスネ夫みたいなものかもしれないけど、この先輩と一緒に行動しているだけで、自分もなんか強くなったような、そんな心強さを感じました。
だいぶ話が横道にそれましたが、自分のほうが「人間失格」です。
“葉蔵”は、勉強も出来たし、人を好きになって、好きな人と一緒になれたし、多くの女性と付き合ったわけだし、酒も楽しんだし、なんというか、自分からしたら完全なリア充の自虐風自慢にしか見えなかった。最後はモルヒネ中毒になって、精神病院?に入れられて「人間失格」ってなるわけですけど、いや、総合的に見て、かなり充実した人生だったんじゃないですかねと自分は言いたいです。他人に恐怖を抱いているという割には、メチャクチャ斜に構えて人生を見ていそうな割には、やることやってるんじゃないかねと。自分を偽って道化を演じて生きているという点については、それはみんな似たようなものだと思いますし。
自分なんて、他人(家族含む)ともう6年近く、まともに会話していないし、外出するのも月に一度あるかないか、今や月に1度すら出ることもなくなってきている。頭も悪くて人生再起不能レベル。まあ、それをどうにかしたくて、ほんの僅かですが、身体を動かしたり、漢字の勉強をしているわけですが、こんな自分が人間失格じゃなくてなんなのかって感じですね。
他人の人生と自分の人生を比べても、どうしようもないんですけどね。上を見ればキリが無いし、下を見てもキリが無い。自分の人生だって、紛争地域で暮らしている人たちと比べたら、よっぽど甘い生活をしているでしょう。
でも、まあ、「人間失格」を見た自分の感想としては、「こっちのほうが人間失格ですよ」と言いたくなりました。
自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。
「人間失格」より引用
これについては共感が出来ました。自分も、人の頼みはあまり断れない性格です。嫌われるのが怖いから。でも、これは多くの人もそうなんじゃないですかね。逆にキッパリNOと言える人のほうが少ないと自分は思います。キッパリNOと言える人は、幸せなのでしょうね。そういう人は“生きやすい”と思います。
まとめると、「俺こそが人間失格だ」ってことです。
道化を演じて生活を送れた葉蔵は立派な人間合格です。自分が人間失格です。自分は愛想笑いして、人に嫌われないように生きてきましたが、それもある種、道化と言えますかね。
もう人と関わり合えるような、友人関係を築けるような人生ではなくなっている。自分自身で、自分の性格はクズで最低だと思っているし、客観的に見て、自分が“友達になりたいと思えるような人間”ではない。
自分の良いところを挙げるとすれば、「“まだ”罪を犯していない」「酒を飲まない」「自動車の運転もしない」というところでしょうか。自分は人生において、100%、飲酒運転を含めた自動車の事故を起こすことはないです。これは断言できます。
……そもそも、自分自身を合格と言える人間は果たして存在するのか。自分自身を客観的に見つめたとき、多くの人が自分を失格にするんじゃないですかね。
人間失格ランキングなるものがあれば、自分は間違いなく上位にランクイン出来ると思います。人と関わって生きていない自分は、“人間”ではなく、ただ動物としての“ヒト”じゃないかと。だから、人間にあらず。失格。
最後に、ついでなので、小学生時代の写真も貼っておきましょうか。
この頃は「人間」でした。友達も居たし、女の子とも普通に喋っていました。ノートに描いた自作のマンガゲームブック「とんぺいくん」(ブタを主人公にしたゲームブック)がクラス内で人気を博していた。
ゲームブックって↓みたいなやつね。簡単に言うと、「読者が選択肢を選べる小説」です。Aなら何ページへ、Bなら何ページへ、という風に、自分の選択肢で小説の進行が変わります。
小学生時代が、自分が一番人間らしくて、楽しかった頃だと思う。小学生時代を一生ループ出来たら、幸せだろうな。
この頃に戻りたいよ。ポケモン、ミニ四駆、ハイパーヨーヨー、友達と遊べる娯楽が沢山あったな。たまごっちも流行ってたけど、どこにも売ってなくて買えなかった。小学5年生の頃が一番幸せだった。好きだった女子(初恋)と席が隣同士で、仲も良かったし、学校に行くのが楽しかった。余談ですが、自分が広末涼子や遠藤久美子のようなショートカットの女性が好きなのは、初恋の女子の髪型がそれだったからです。
本当に、楽しい小学生時代が自分の過去にはあった。でも、絶対に戻ることは出来ないから悲しいね。どうあがいても戻れない。死んだって戻れないんだからね。記憶を探って、断片的に思い出すことしか出来ない。
そう考えると、新型コロナウイルスで貴重な少年時代が潰れてしまう今の子供達は、可哀想でなりません。小学生時代の1年間は、とても貴重なものですから……。