最近ツイッターを見ているとイライラすることが多い。
嫌でも目に入ってくるのはツイッターのトレンドである。ポジティブな話題もあればネガティブな話題もある。
最近ではメンタリストDaiGo氏の発言が波紋を呼んでいる。
ホームレスの命を軽視した過激な発言で絶賛炎上中だ。既に多くの人が知っていると思うのでここでは詳細は省きます。リンクを読んでください。
リンク:「ホームレスの命はどうでもいい」人間と猫の命を比較し… メンタリストDaiGo氏の発言に批判殺到
自分としては「またか……」ともため息をつくような感想である。自分からすると、こういうのは過激な炎上商法にしか見えない。
これがトレンドに入るのも、物凄くくだらない。
この話題を大きく取り扱っているのはバズフィードジャパンというサイトだ。上記リンクのサイトがそれです。
“社会にポジティブなインパクトをもたらすニュースをわかりやすくお伝えしています”と謳いながら、こんな超絶ネガティブ炎上ネタも取り上げるのは如何なものかと思う。
こういう大手が取り上げることで、DaiGoの発言がより大きな影響力を持つようになるのではないかと思ってしまう。
こんなの、バカが何か言ってるで終わりにすればいい。問題提起として大事なのかもしれないが、自分はこんなの放っておけばいいとしか思えない。火に油を注いで発言力、影響力を大きくしているだけではないか。
DaiGoだけの話ではなく、ひろゆきだとかゆたぼんだとか、あそこらへんの炎上上等の人間を相手にして何か言うのはバカだと思っている。そいつらは話題になっている当事者をバカにしてマウントを取っているつもりかもしれないが、自分からすればそいつらを嘲笑している人間もバカだと思っている。
またひろゆきが何かやらかしてる、とか言って、ひろゆきに何か言う人間、そこに時間を費やす人間を哀れだなと感じる。
それこそ思うがままです。普通の人間と考え方が違うのだから。悪名は無名に勝るを地で行くような人間なんて相手にしないで無名のままにしておけばいいのに。
ぶっちゃけ、ひろゆきなんか相手にしてくる人間を良い餌くらいにしか思っていないと思いますよ。
インフルエンサーが過激発言や目立つ行動をする→外野が騒ぐ→専門家が出てくる→外野がその意見に乗っかってあーだこーだ言う、こんな感じの一連の流れ、話題の拡大がマジでクソくだらなすぎてしょうもない。お前ら時間の使い方としてどうなんだと思ってしまう。貴重な寿命を消費しているけど、これで得してるのはインフルエンサーだけですよ。
自身の専門分野だったり、趣味であることに関して何か言われるなら物申すのも納得出来るが、自分と無関係の出来事でここまで騒いで時間を浪費出来ることが凄いなと感じる。ひろゆきに何か言うことで、自分の中の何かが変わるのだろうか。
ツイッターって、数年前はこんなに酷く無かったように思える。
今となっては2ちゃんねるが表に出てきたような不快感がある。
今のツイッターを例えるなら、匿名化されなくなって一般人でも気軽に書き込めるようになった2chって感じだ。ツイッターの2ch化。
2chと違って匿名ではなく、ユーザー名が表示されてその“個”がより強調され、その人間達が、本来だったらふだん表で言えないようなことをバンバン発信していくから、2chよりも性質が悪く不快感が物凄いのだと思う。
便所の落書きが表に出てきたら不快でしか無いだろう。あまりにネガティブなニュースや、叩くことを目的とした事件の取り扱いが多すぎる。
知らないことを知るのは大事だが、特に知る必要もないひろゆきのピュータン問題だとかしょうもなさすぎる。こんなので言い争って、外野が時間を使うのはバカでしかない。
“おもちゃ”として楽しんでいるみたいな意見を目にしたこともあるが、それが物凄く低俗な遊びであることに本人は気付かないのだろうか。それに乗っかって関連記事を見たり動画を再生することで餌にしかなっていない。ミイラ取りがミイラになっていることに気付かないのだろうか。
自分は引き篭もっているので、ニュースと言えばツイッターかヤフーで情報を知るくらいなのだが、最近はあまりに炎上ネタとかそういうのが多すぎて辟易している。これが世界の全てなのかと思うくらいに錯覚して、気が滅入る。
多分、取り扱う側としてもそういうニュースのほうが“美味しい”のだろう。ヤフーニュースはコメントの量も凄いですからね。
クソな人間もクソなニュースも多すぎる。自分がプレイしている格ゲーの界隈に限って言っても、プロゲーマーを取り巻くニュースはろくなものが殆どない。最近は結構な炎上ネタを取り上げた。自分も炎上ネタを扱うという点で同じムジナであることは自覚している。
そう、自分自身もクソな人間であることは自覚している。が、世間も自分と同じような人間でここまで溢れているとは思わなかった。
ちなみに話は大きく変わるが、DaiGo氏の発言を見て、自分は先日読んだ小説「殺戮にいたる病」の一節を思い出した。フリーターの存在をとことんバカにした文章になっていて衝撃を受けた。
そこについても語りたい。記事タイトルとは内容がかけ離れるのでご了承ください。
我孫子武丸氏著「殺戮にいたる病」とあるシーンについて
連続猟奇殺人事件の犯人像を作中人物が推理していたときのシーンである。
「フリーターですか。……そうかもしれませんね」
フリーター ─ ─ 金がなくなるまで遊んで、なくなったらアルバイトをすればいいと思っている連中のことらしい。下らない連中のための下らない呼び名だ。
たまたまここ数年景気がいいから、そんな浮わついた連中でも生きていけるが、彼らは不景気になったときのことを少しでも考えたことがあるのだろうか。
仕事のできる正社員ですら首を切られることがあり、働きたくても働き口などなくなることもあるということを考えたことがないのだろうか。おそらく、ないのだろう。 働くことの大切さも、生きることの大切さも何も分かっちゃいない。だからこそ平気で他人の命を奪うこともできるのだ。あの幼女殺人犯も決してよく働く方ではなかったようだ。子供の時から何不自由なく育ち、稼ぎもないうちから高い車を乗り回す。
人が生きていく上で大切なことを学ばないないまま大人になる。むしゃくしゃする、もやもやするといっては女性を襲い、浮浪者を蹴る。被害者はしばしば死にいたるが、命の何たるかを理解していない以上大した罪悪感を覚えることもない。
【引用元】我孫子武丸. 新装版 殺戮にいたる病 (講談社文庫) (Kindleの位置No.1938-1947).講談社.Kindle版.
1996年の小説だが、これも十分炎上に値する内容ではないかと思う。フリーターへのとんでもない偏見であり差別である。
自分は今は無職だが、フリーターとしてバイトしていた期間も長かった。まさかここで、フィクションの中の人物とは言え、ここまでボロクソに言われるようなものだとは思わなかった。
これは作中人物の感想というよりも我孫子武丸氏本人の思想が色濃く反映された発言に見えて、このくだりは相当な不快感があった。
そもそも、「人が生きていく上で大切なことを学ばないないまま大人になる」という時点で逆説的にフリーターがどんな人間なのかを一方的に決めつけている。こういう人間がフリーターになり、悪事をするのだと結論づけている。元刑事(作中人物)ともあろう人間がである。
これが、どうしても作中人物の視野の狭さを表現するものとして書いた記述のようには思えない。あまりに視野狭窄過ぎるし偏見に満ちている。フリーターへの悪意を抱かずにはいられなかった。
能力が無くてフリーターに甘んじるしかない立場の人もいるだろう。
フリーターと正社員の立場で、人間の根幹に関わる部分がそんなに変わるのだろうか?
正社員だと生きることの大切さを学べるのか?フリーターだと平気で他人の命を奪えるのか?全く納得が出来なさ過ぎる。
本当に衝撃を受けた。このくだりをいまツイッターで大々的に公表して炎上しないのであれば、自分はおかしいとさえ思うくらいだ。フィクションだからいい、で済ますのだろうか。
先日感想を書いたが、この小説はオチ以外は夢中で読み進められるほどの引き込む力はあった。しかし、凄惨なグロ描写と、このフリーターのくだりは不快感がありました。
少し前には『ファイアパンチ』で有名な漫画家、藤本タツキ氏が最近少年ジャンププラスで『ルックバック』という読み切り作品を描いたが、これも問題になりましたよね。表現が偏見や差別の助長に繋がるとして内容の一部分が修正されました。
『ルックバック』作品内に不適切な表現があるとの指摘を読者の方からいただきました。⁰熟慮の結果、作中の描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいと考え、一部修正しました。
少年ジャンプ+編集部https://t.co/Vag51clfJc
— 少年ジャンプ+ (@shonenjump_plus) August 2, 2021
自分自身は、この作品を読んだときにそういう風な考えは抱きませんでしたが、障碍者の方から見ると、そうは思えなかったということです。つまり、私が『殺戮にいたる病』で抱いた感覚と同じことと言える。
まとめ
まとめと言いつつ、上手くまとまらない。
どう言えばいいのだろう。
ここ最近のなんか、世間の醜さというのは。コロナ禍の影響もあるのだろうか。
外に出れず、鬱屈した人がそのネガティブなパワーをネットの海に放出しているのだろうか。
今のネットはちょっとくだらなすぎると思うし、汚れすぎていると思う。2chでイッテヨシとか言っている時代のほうが、まだキレイだったのではないだろうか。
過激発言や人に迷惑をかけることで売名をし、反省ムーブをして知名度だけアップ。
なんか上手い具合に捨てられている動物を拾ってそれを動画にして金を稼ぐYouTuber。
サブアカを作るプロ格闘ゲーマー。
将棋とボクシングを組み合わせたかのような高尚なeスポーツがストリートファイター5。
私自身も大概クソな人間だと自覚しているが、世界はもう少しキレイであってほしかった。勝ち組の人間がより力を得るために過激発言で売名したり、それで批判意見が出たらスラップ訴訟を匂わせたり、炎上系YouTuberが名前を売るために不快な行動したり、昔のネットとは性質が違いすぎる。
無職の人間が“無敵の人(失う物が無いとして)”だなんて表現されるが、無敵なのは金と知名度を持った傲岸不遜な人間ですよ。自分は無職ですけど、無敵でもなんでもない。1つしかない貴重な命をネット上の嫌いな人間のために使うか?そんなわけがない。
昔のネットは現実逃避の場、陰キャの逃げ場所みたいな印象だったが、今は現実世界を更に身近にしたものとした印象を受ける。今や顔出しも当たり前になった。昔のネットなんて顔出しはありえなかった。世界に顔を出すというのは、それはもう現実より現実に近い現実なのだと思う。
ちなみに自分はDaiGo氏と似たような価値観を持っているかもしれない。ホームレスは死んでいいだなんて微塵も思っていない。いま生きている人達が死ねばいいとも一切思っていない。そこは勘違いしないでほしい。
自分の場合は、“バカや貧乏人は子供を産むな”というのが持論です。過去に語ったことがある。
これは自分自身がバカであり貧乏人で、人生を楽しいと思っていないからです。そして、この世に生まれることで人生最後は究極の苦痛である“死”を迎えることになる。そんな苦しみを味わうなら生まれないほうがいいし、それを理解している人間が子供を産むことは悪だと考える。
子供を産むというのは、“死”の存在、苦しみを理解している人間が、まだ生まれてこない命に死を一方的に与えるということです。生まれてくる人間に死を回避する拒否権はない。これが親のエゴでなくてなんなのかと思うのです。
この世に生まれて死の恐ろしさを自覚している人間が、何故子供を産むことが出来るのか不思議で仕方がないのです。
子供を可愛がって、もしかしたらその子供は親よりも先に死ぬかも知れない。子供が死んだら親は悲しむでしょう。
しかし、その死を与えたのは紛れもない親自身だ。いつか死ぬ。その死を与えるのは親自身です。産まなければ死という最大の苦痛を与えることはない。死だけでなく、人生は嫌なことも沢山ある。私の人生で言えば嫌なことのほうが大半だ。
子供を幸せにできる裕福な家庭、死の苦痛を上回るほどの幸せを与えられる自信があるなら産めばいい。そうでないなら生まれてくる子供が可哀相だから止めるべきだというのが自分の意見です。
これも炎上するような過激な思想かもしれませんが、自分はそう思っている。RPGのラスボスみたいな陳腐なセリフになるが、“無であることが一番良い”とさえ思う。
もし全世界の人間がこの考えなら、確実に人類は絶滅する。だから、生命体としての考えとしては間違った考えです。
ですが、自分はこの意見を変えることは出来ない。
それとは別として言っておきたいのだが、他人の子供を見て可哀相だとは思いません。貧乏で苦しそうな子供は除く。
幸せそうな親のもとで幸せそうに笑っている子供は素直に可愛いと思うし微笑ましくなる。自分の心の中に湧く、この感情は否定できない。
ただ、自分のように貧乏な家のもとに生まれたりするのは良くないと思うし、貧乏な家庭で育つ子供は可哀相だと思う。
自分は二階建ての家に生まれて、家の中で階段を上り下り出来たり自分の部屋がある人生が良かったです。
話がとっ散らかりましたが以上です。
最後に語ったことの詳細は関連記事をご覧ください。