アイデンティティが崩壊しました。
自分が自分たらしめていたのは、「ゲームが誰よりも好きだ」ということだった。
ずーっと引きこもってゲームを遊んでいた自分。誰よりもゲームが好きという自負があり、だからこそこういうゲームブログも運営していた。
今思えば、このゲームが大好きって気持ちは他の人には負けていない、自分が自分であることを保てている唯一の要素だったかもしれない。
その、アイデンティティと思えるようなものが、崩壊しました。自分であることを認識する要素が完全に崩れ落ちてしまったような、そんな気がしてならない。
それはなぜか?少し語りたい。
ゲームが無くても意外になんとかなるのか?
先月の1月22日から、自分の人生を変えるため、漢字検定2級の勉強を始めました。
(今まで独自に漢字の勉強などしたことはありません。無級ですし、偏差値40程度の超バカ高校卒です。)
勉強を始めてから、一ヶ月近く経つわけです。この勉強は毎日最低1時間、今の所一度も休まずに続けています。
正直、この漢字検定の勉強、全く苦にならないんです。今日も2時間以上勉強しています。
なかば自分を追い詰めるような形で始めた漢字検定の勉強ですが、ひょっとして「漢字」って面白いんじゃないのか?と感じている。
意思表明したから嫌々やっているという感情は、ハッキリ言って今の所無いです。難しそうな漢字や四字熟語を覚えたり、漢字がキレイに書けたりすることに達成感みたいなものを感じます。
そして、それと同時にゲームをプレイする時間も激減しました。今までは、起きている時間は殆どゲームを遊ぶことに費やしていました。ですが、ここ最近はそんなことが無くなりました。
ゲーム(スト5、AEPX、スマホゲー)を数時間プレイして、漢字検定の勉強も1~2時間程度する。あとは寒いので布団にこもってモゴモゴしている。最近はこんな生活サイクルです。
つまり、今の自分はゲームにそこまで依存しなくても生活が出来ている。これに気付いたとき、自分は何者でもないことを悟ってしまいました。
勿論ゲームは好きだっていう気持ちはあるんですけど、それが無かったとしても何とかなるんじゃないか?って、思ってしまったのです。ゲームが無きゃ生きていけない、“ゲームキチガイ、ゲームバカ”であることが自分が他の人とは違う、と思える要素だったのに、今の自分はゲームキチガイじゃなかったんです。
(まあ、そんなのをアイデンティティにしている時点でクソなのは間違いないのだが。)
自衛隊に居た時、他の駐屯地の支援に行ったりすることもあったんですけど、そういうときにXBOX360とテレビごと持っていって上官に引かれたりしました。かなり重度のゲーム好きでした。中隊内で“ゲーム”と言えば自分の名前が挙がってくるくらいだったとは自負している。
それくらい、ゲームと自分は切っても切れない関係だった。なのに……今は、ゲームに依存しなくても大丈夫かもしれない、という非情な現実があった。これは、他者の視点から見れば良いことなのかもしれない。いや、かもしれないじゃなくて100%そうだろう。でも、自分にとってはゲームバカであることが自身のアイデンティティだったんです。
Q.俺からゲームを取ったら何になるか。
A.何も残らない。
何も無い、何も積み上げてこなかった中途半端にゲームが好きな、能力の無い中年の無職がそこにいたわけです。
もっと早く、漢字の勉強をしていれば良かったと心底思う。もっと早く気付きたかった。
引きこもって5年以上。いや、それ以前も、自衛隊辞めて以降は殆ど短期のバイトをしていただけで、実質無職だったようなものだから、それも含めれば9年以上怠惰な生活をしてきたわけだ。ゲームをしていただけの9年。あまりに虚無過ぎた。
学生時代も含め、ゲームに熱中してきた人生だけど、そんなゲームでも「上手い」という部類には到達出来なかった。
正直、格闘ゲーマーのマゴさんやウメハラさんが羨ましい。自分と同じように、ゲームに人生を注ぎ込んだ人だと思うんですけど、そのゲームでトップクラスの位置に立てていて、ゲームで生活出来ているわけですからね。
一体何だったんだろう。俺の人生。
漢字の勉強のように、まだ周りを見渡せば面白いと感じる世界があると思う。
そして、それはもっと若い時に気付かなければいけないことだった。
他者への羨望
SNSやネットをチェックしているだけで嫌でも目にする成功者の存在。
これは自分の自己評価を著しく下げている要因のひとつかもしれません。
「人生の成功者」が視界に入ってくる機会、他者と自分を比較する機会があまりにも多すぎる。昔は多分そんなことなかった。
ハッキリ言って、楽しそうな人達、幸せそうな人達を見ていると苦しいです。嫌でも自分の人生と比較されてしまう。
これは自分の人生が充実していれば起き得ない感情でしょうね。自分に貯金の余裕があった時、自衛隊に居た時なんかは、こんな羨望とも言える感情は一切無かった。
自業自得とはいえ、辛いです。
あとは、嫌な人間を目にする機会もあるのも、ネットをすることによる苦痛ですね。
堂々とウソをついてプロゲーマー面している人種や、自分の記事を丸々コピペしたまとめサイトの存在とか、コンバーター使ってAPEXプレイしている人間とか、「お前ら本当に同じ人間か?」と思えるような所業をしている奴ら。そういう輩が堂々と行動しているのは怖い。
不快な気持ちになります。
生老病死について
ちょっと今回の記事とは関係ないのですが、語っておきたい。
漢字検定の勉強で「生老病死」という四字熟語を知りました。これは四苦八苦の「四苦」に当たる部分だそうです。
「生老病死」とは……
生まれること、老いること、病むこと、死ぬことの四つの苦。人生における免れない四つの苦悩のこと。
です。
生まれることが苦悩。自分が過去記事で語ったことと同じで驚愕しました。
自分は上記記事で、「子供を産むってことは、その子供に死の恐怖を味わわせることになるんだから親はそれを自覚しろ」というようなことを書きました。
これはまさに「生老病死」と言えることですよね。この世に生まれたからには死の恐怖からは絶対に逃れられない。俺は自然と仏教の境地に辿り着いていたわけだ。
流石にこれは感動を覚えました。気が合う友人を見つけたような感じです。
……ええ、それだけです。俺の考えと一緒じゃんって驚いただけで、オチは無いです。
まとめ
以上、管理人のアイデンティティが崩壊した話でした。
自分は自分が思っていたよりもゲームバカじゃなかった。それが、なんか自分でも衝撃的でした。
いや、ゲームをプレイ出来なきゃそりゃ辛いけど、病的なほどまでには依存していなかったんですよね。APEXやスト5でイライラした時は、ゲームでイライラするより漢字の勉強するか~、ってなるんです。
これは依存度の高いゲームを現在プレイしていないからってのもあるのかなあ。もしMMORPGにハマっていたなら、状況は違うかもしれない。新作で超面白いゲームに出逢えたら1日10時間とかは遊ぶとは思うし。う~ん、ここまで書いたけど、どうなんだろうな実際。
まあ、ゲームが好きであることは変わらないので、これからもゲームの記事は書いていきます。
なんか、『龍が如く7』をプレイしたせいで少し人生が変わったような気がする。ゲーム内で「ハロワ」とか「資格学校」とかさ~、間接的な現実の押し付けが無職には“効いた”ね。
明日発売される『侍道 KATANAKAMI』も買おうと思ってたんだけど、やっぱいいやってなっちゃったもん。Amazonで買おうと思ったら発売日に届かないみたいだったし、『D4DJ』の体験版来るしね。侍道買う予定の人がいたら感想教えて下さいね。
もう終わりだよ。
滞納している年金、減っていく貯金、親の年齢、ワクワクじゃなくて現実が押し寄せてくる。
ってか、最近はコロナウィルスも怖いし、無職で引きこもっていることが案外正解なのかもしれないな。親がコロナに罹ったら終わりだが……。
今は冗談抜きで働いたら負けって感じがする。
気を付けようが無いと思うけど、皆さんコロナウイルスには気を付けてください。最低限、手洗いうがいをしっかりね。自分は綺麗好きなのでウンコしたあとしっかりキレイキレイで手を洗っています。速報になりますが、先日はシャワーも1週間ぶりくらいに浴びました。
ブログで記事書こうとするとチョイチョイふざけちゃうんだけど、もう相当暗くて黒い感情が渦巻いています。
改めて今回の内容をまとめます。ゲームだけしてきたような人生なのに、漢字検定の勉強を始めてゲームのプレイ時間が大幅に減ったことで、自分の存在が何なのか分からなくなりました。
1行でまとめると、こうなります。
これが盗んだバイクで走り出すような15歳の若造ならまだいいのですが、残念ながら中年のオッサンです。終わっています。本当に。
ゲームのプレイ時間が大幅に減ったっつっても3時間~4時間くらいはプレイしているはずなので、まあ社会人の方から見ればやり過ぎの範疇だとは思います。テヘペロ。
それでは。