映画『グリーンブック』を視聴しました。この映画を見るのは2回目です。
以前オススメ映画としてタイトルを挙げたことはあります。
アマゾンプライムビデオを眺めていたら「もう1度観る」ってカテゴリに出てきたので、ちょっと視聴することにした。
映画のあらすじは以下との通り。人種差別問題をテーマにしている、実話をもとにした映画です。
時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。
ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。
彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。
二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。
同じ映画を2度観ることは滅多に無い自分ですが、これを観るに至った理由のもう1つとして、加藤純一さんの差別発言動画をつい最近視聴したことも影響していると思う。
動画リンク:【コメ付き】加藤純一差別発言まとめ
(タップするとYouTubeに移動します)
最近過去の発言が影響していて様々なイベントをキャンセルされている氏ですが、むしろ今まで良く干されなかったなって思う。
過去に差別発言していたっていうのは知っていましたが、まさかここまでヤバいこと言っているとは予想だにしていなかった。
この発言を聞いて笑っている観客にもドン引きしました。どこが笑えるのか全く分からないし気持ち悪いにも程がある。何かの宗教にすら見えます。これ喋っているのはニコニコ大会議あたりの開場ですかね?
この動画を見てもなお企業が案件を投げたり、ストリーマーが関わりを持つなら流石に凄いと思う。知らずに氏と関わっているなら、この動画は絶対に目を通さなきゃいけないレベル。
話を映画に戻します。
自分は『グリーンブック』を初めてみたとき、メチャクチャ良い映画だな~って思ったんですけど、そのあとにWikipediaで“白人の救世主描写”というものを知り、ちょっと印象が変わりました。
・本作は批評家から大方肯定的なレビューを受け、2人の俳優のパフォーマンスは賞賛されているが、映画内での歴史的な描写の不正確さと、いわゆる典型的な「白人の救世主」の描写について批判を集めている側面もある。
・映画における白人の救世主(英語: white savior)とは、白人が非白人の人々を窮地から救うという定型的な表現である。
※Wikipediaより引用
これは確かに言われてみれば……って思った部分で、素直に映画に感動してしまった自分が恥ずかしくなったことを記憶している。
要は、日本スゲー動画的なものを見る感覚かなあ。日本の技術とかを海外に自慢するテレビとか動画とかあるじゃないですか。
自分ああいうの物凄い気持ち悪く感じるようになったんですけど、『グリーンブック』は、それを白人と黒人の構図でやっているような、そんな感じでしょうか。白人が気持ち良くなれる白人スゲー映画的な。
それを認識してしまったうえで、2度目の視聴となりました。確かに、“白人の救世主”描写が感じられてしまう。意識してしまう。
自分からすればとても良い映画だと思ってしまうけど、これを黒人が見た場合はどんな感想に至るのか。
多分、黒人が見た場合は良い気はしないんだろうな……と思う。上から目線、傲慢さみたいなものを感じるかもしれない。
実話に基づいた映画とはいえ、黒人の立場で視聴したとしたら、まず良い気はしないだろうってのが察せられる。
『グリーンブック』は“視聴する側の人種によって感想が大きく変わる映画”だと二度目の視聴で感じました。
日本で生まれた多くの人は、人種差別的な感覚はほとんど持ち合わせていないと思う。単一民族国家ですし、外国人と直に触れ合う機会っていうのは多くの人は無いでしょう。
外国人に何か嫌なことをされただとか事件に巻き込まれたとかがない限りは差別的な感情って生まれてこないと思う。
だから、自分は『グリーンブック』を初めて見た時は、すげぇハートフルで良い映画だなって思ってしまった。良い映画っていう感想は二度目の視聴でも変わらないけど、それはあくまで自分が日本人の立場だから言えることなんだろうなって。
“黒人が視聴したら良い気はしないだろうな”って感覚は、2度目の視聴で生まれたものです。
自分からすれば肌の色で差別が起こるとか本当に理解できないけど、これは日本に生まれたから故の感性なのかなって思う。
多民族国家で生まれていたら、白人か黒人に生まれていたら、どうなっていたか分からない。
例えば、白人に生まれて、生まれた時から周りが黒人を差別している環境で育っていたら差別主義者になっていたって何らおかしくないわけで。
そこらへんって自分自身じゃなくて環境によるところが絶対に大きいと思うし、怖すぎるよな……って思った。大きいどころか100%かもしれない。
先天的なモノじゃなくて他人に影響されてこそ生まれてくるであろう感覚だから、怖いよなって。
ちょっと話を変えるけど戦争とか犯罪だってそうです。
凶悪犯罪やテロを起こしている人間たちだって、もし日本で、日本人に生まれていたら、全然違う人生を歩めていたと思う。一緒に楽しくゲーム出来る仲になれた可能性だってあるわけで。そういうの考えると悲しくなってくる。
結局生まれなんだよなって思う。
人種で争いが起こるとかマジでくだらないし無くなって欲しいと思った。やっぱり、日本人からすると意味不明過ぎる感覚。
こういう風に語っているのも、結局上から目線みたいなところがあるか。
まあ素直にストーリーを楽しんで感動してそれでOKかもしれないけど、“白人の救世主”を知った上で視聴した2度目はモヤモヤしてしまったところがあった。
今まで観てきた多くの洋画の中にも、意識していなかっただけで“白人の救世主”描写的なものはあったりしただろうな……。
『グリーンブック』をまだ視聴していない人は、是非とも視聴してください。アマプラで無料で観れます。
色々言ってしまったけど、バディ映画としては純粋に良く出来ていると思います。先入観無しで観た初回は本当に良い話ダナーって楽しめたから。
老夫婦とロバの4コマ漫画みたいにどうやったって批判はされるんだよね
ポジティブ要素をどこかで出したら、それを得られない人からのネガティブな反応は必ずある
あらゆる物語にあらゆる属性の登場人物を入れたところで、取りこぼされる人は必ず出てくる
キリがないよね
最近だとウィリーズワンダーランド、モガディシュ、アライブフーンが面白い映画でした。
過去の発言はいつになったら許されるのか、キャンセルカルチャーの犠牲者なのかと
擁護するのは難しい発言が多かったからね。
いくら視聴者を大量に集められるストリーマーだとしてもやっぱ企業は使いづらいよね。
その理論だと反対に「黒人の救世主が白人を救う」映画も駄目ってことになりませんか?
それだって「黒人がうっぷんを晴らすだけの」映画ってことですよね。
つまり救世主が人間である時点でもう駄目なのでは?
虐げられてきた過去がありますから、そういう形で語ることは出来ませんよ。
現在も差別は残っていますし。