先日、当ブログの大人気コンテンツ『新・ウンチ物語』の第2話を掲載しました。
ウンチの“ウン光太郎”を主人公に繰り広げられる大冒険活劇です。ちなみに第1話で主人公がウンチではなく○○○○○という衝撃の事実が判明します。
第2話の記事を掲載したところ、コメントで「きったね」という意見が送られました。
私は激怒した。汚いとは何事だと。ウンチが汚いというのかと。
私はこう返信した。
「でもみなさんの体内に例外なくあるものです。」と。
これで完全論破しました。私はドヤ顔になりました。汚いというが、どんな人間も例外なく体内にウンコはあります。
完全論破したつもりでしたが、全く論破になっていないことに後から気付きました。
ウンチが汚いことへの反論にはなっていないと。私が勝つためにはウンチがキレイなものであるということを証明しなければいけないのに、それが出来ていませんでした。
つまり私の負けです。ごめんなさい。
ウンチが汚いのは、認めざるをえない。そして、その汚いものを見て不快にさせてしまった読者には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
特に、カレーを食べながら当ブログを見ていた読者の方がいたら、申し訳なく思うところですが、冷静に考えて、何かを食べながらブログを見るというのは作法的に良くないです。私のブログにそういうテーブルマナーのなっていない読者は要りません。
私の理想とする読者層は、タワーマンションの高層に住んでいて、なんかやたら高そうな紅茶かコーヒーを飲みながら、それでいて高そうな犬や猫を膝の上に起きながら当ブログをチェックするような人達です。
だから、カレーを食べながらブログを見るような読者はこっちからお断りっていう感じはしますね。
しかし、ウンチがもしキレイなもので、それが細菌もなくて栄養もあるものだったら、世界は平和になると思います。
ウンチを出して自分のウンチを食べて空腹が解決するなら、世界中の生物は他者を攻撃する必要もなくなり、平和になりますよね。ウンチが汚いっていうのは、神の意志を感じます。ウンチは汚くて食べれないから、他の生物を攻撃して、争って、それを食べて生きてゆけっていうのは、神の意志を感じます。
ウンチ(完全栄養食としての)を美味しく食べれるような世界だったら、世の中は平和だったんです。ウンチを出してそのウンチを食べるだけで生きていけるなら、争いは生まれなかった。
だが、神はそれを許さなかったのだ。
体育の先生が ちんちんはまんまんに突っ込むとこなんだから綺麗なんだみたいなニュアンスの事を言ってました 肛門も人によっては ズンッ!するところなのでそこから出てくるうんちも綺麗な可能性はないでしょうか
体育の先生がそんなこというのは結構危険だと思います。
しかもその理屈でいくと、(ちょっと下品な方向にいきすぎるのでやめておきます)なんですよね……。