愚かな人間のみなさん、こんにちは。ワタシも愚かな人間の1人です。
一昨日いつもの通り深夜徘徊していたんですよ。
そしたら、そのあと鼻水が止まらなくなりました。APEXやスト6やるどころの話ではなくなったので、ストリーマーの配信を視聴していた。ティッシュもどれくらい消耗したか分からない。
鼻水がちょっと落ち着いたのでなんとか睡眠を取って起床。
起きた後も鼻水がジュルジュル出る。
あまりにタイミングが悪いことに、先日はどうしても外に出なければいけない用事があった。引きこもりの自分が、どうしても外に出なきゃいけない用事。
歯医者は面倒くさくて通うの止めてしまったので、それとは別の用事がありました。
のっぴきならない事情で外出しなきゃいけない用事ってのは年に数える程度しかないと思う。そのタイミングで鼻水がジュルジュルしていたわけです。
しかも外はとんでもない強風。
外出しないわけにもいかないので、外出しました。
これがしんどいのなんのって。引きこもりにしては結構な距離も歩いたので、鼻水が更に悪化。
用事を終えて家に着く頃にはマスクが鼻水でビショビショになっていた。鼻水でここまでマスクを汚したのは人生初かもしれない。こんな鼻水が出ていたら外出なんて普段はしませんが、本当に出ざるを得ない悪い意味での用事があったので仕方ない。
とにかくしんどかった。体調も考えて、昨日は深夜徘徊を休みました。鼻水出すぎて無理。今日は比較的落ち着いていますが、今日も休む予定です。
ってかこんなクソ寒い中で深夜徘徊するのはダメかもしれない。むしろ健康にマイナスなのかもしれない。けど運動しないほうがもっとダメですよね……。
頭痛とかは全くしないので風邪ではないと思います。
こういうときにこそ、普段健康体でいられることに感謝してしまうものです。普段は健康であること、当たり前であることが幸せだったと自覚することなんてありません。
体調不良になったとき、人間はふだん健康であることのありがたさを実感するのです。
なぜ人間(自分)は学ばないのか。当たり前の日々が幸せだったということに……。いつもそうだ。
これだから人間は愚かなんだ……。
当たり前の日常は、いとも簡単に崩れ去るということを自覚しよう。
自分たちが普段食べている肉や魚だって、ひとつの命なんです。そこを考えると、人間の命だって同じ軽さなんです。
命ってのは本来は簡単に消し飛ぶものなんですよね。
いま、人間は他の動物よりも大きな進化を遂げて“命を奪われる脅威”というのは無いに等しくなっていますが、本来だったら“生きる”という行為は毎日が命がけだったはず。1日を無事に生きるという、それ自体が大変なものだったはず。
これは他の動物だったら今も適用されるものでしょう。家畜を除いて。
だから、こうやって引き籠もっていると“生”というものを実感しづらくなっていて、急に健康を害したときくらいにしか、当たり前に生きていることに感謝することが出来ない。生物としては凄い特殊な立ち位置に居るのが人間と言えそうです。
……いや、厳密に言えば人間の中でももっと限られた枠になりますけど。他所の国だったら戦争とかしているわけで、毎日生きるのに必死な人が沢山いるでしょう。
これに該当するのは日本人や僅かな国の人達だけか……。
そういえば、自分は最近YouTubeでスラム街の動画を見たのですが、これは結構感動を覚えました。
自分の知らないところで毎日精一杯生きている人が沢山居るんだなって、当たり前のことを再確認できる動画です。
世界中で生きている人達すべてに人生があって、それぞれに物語だったり交友関係だったり趣味だったりがあるんだろうなって考えると、凄いものですね。
↑の動画の8分25秒あたりのシーンが自分が好きで、何度も見返している。
キャップを被る少年のカッコ良さと、ボロボロのビリヤード台で遊ぶ人達。流れてくるよくわからない謎の音楽。
この何気ない、その人達にとっての日常であろうヒトコマが何故かとても印象的だった。
自分が引き籠もっている間でも、世界は変わらずに動いている。
みんな頑張って生きている。自分も頑張ろうって思いました。頑張るものないけど、なんか頑張ろう。ビッグになろう。
みなさんも健康には気をつけてください。以上。