今回は雑記です。ちょっと自分語りをします。
昔の自分の記憶を掘り起こす意味でも、こういうの書くのはいいかなと思いまして。人生も終わりが見えてきましたし、書くこと書いておきます。
話すのは、自分がパチンコ屋の店員をやっていた時の話。
パチ屋で働いていたことについては過去記事でサラっと書いたこともありますが、詳細に話すのは今回が初めてです。かなりダークな部分にも触れますが、そういうのを見るのが好きな人は見ていってください。
一度に全て語ろうと思いましたが、文章が予想以上に長くなったので前篇と後編に分けます。
パチンコ屋店員時代の話:引っ越し編
自分がパチ屋の店員をしたのは今から13年~14年くらい前の話です。
なんでパチ屋で働いていたかというと、そのときはとにかくお金が欲しかったからです。
なんでお金が欲しかったかというと一人暮らしをしていたから。なんで一人暮らしをしたかというと、兄に殺されかけたからです。身の危険を感じた俺は一刻も早く家を出る必要があった。
自分の兄っていうのは嫌なことがあるととにかく弟の自分に当たり散らす人間でした。兄のストレス解消、サンドバッグになるために生まれてきた存在っていうのが弟である自分なわけです。それがエスカレートして、包丁を向けられて明確な殺意を感じたとき、一人暮らしを決意しました。
「このままじゃ冗談抜きで殺される」そう思いましたね。
※AAでカジュアルに表現してますが、自分が一人暮らしを決意するほどの緊迫感、ヤバさってことは理解してください
「冗談抜きで殺される」これが脅しじゃなく本気で思ったのは今まで兄がやってきたことにも理由がありますが、ここで書くのは伏せておきます。それはつまりここに書けないほど、まともな人間がやる所業ではないってことです。
罪を犯したというわけじゃありませんけどね。自分の兄は家庭内でメチャクチャに暴れてました。いまの兄は結婚して子供もいますが、まあ俺は一生恨みますね。今はさぞかし幸せな人生を歩んでいることでしょうが、俺が兄にやられたことは一生忘れません。結婚相手も兄の本性を知ったら多分ビビるだろうね。
「兄に殺されるかもしれない」ってもし警察に駆け込んだとしたらそれこそ兄の逆鱗に触れて殺される可能性がありましたからね。家族内で事件があると、警察に通報すればよかったのにとかっていう意見を目にしたりしますが、当事者からしたらそんなの無理です。警察なんかに連絡入れたらそれこそチェックメイトですよ?相手はまともじゃないんですから。あの時の兄は完全にイカれてましたね。
機嫌が良いときは普通なんですけど、ヤバいときはもう触らぬ神に祟りなしって状態です。
読者の皆さん、誰かに包丁を向けられた経験ありますか?本当に恐ろしいですよ。
まあそんなことがあって、速攻で部屋探して速攻で一人暮らししました。
引っ越したのは家具家電(テレビ、冷蔵庫、ベッド、机)が備え付けられているレオパレスです。
間取りは1Kで下記画像のような感じ。
ベッド下のノートパソコンは1人暮らし始めてから購入しました。
画像外、ドアの入り口付近にキッチン、シャワー、トイレがあります。
「俺は自由を手に入れた!!」
と喜ぶのもつかの間、生活するためには金が必要なのでパチ屋で働くことになったわけです。
引っ越し前はコンビニで働いてましたが、それよりも時給の良いパチ屋を選んだのだ。
パチンコ屋店員時代の話:労働編
※なにぶん昔のことなので、鮮明に覚えてはいません
最初はアルバイトとして働いていました。
朝番だったので、シフトは8時~17時だったかな。
パチンコ屋店員の主な仕事は、開店前の清掃、当たり台への札刺し(当たりが出た回数をアピールするための札。確か)とドル箱運びですね。仕事に慣れてきたらマイクアナウンスもやるようになりました。
店員が何人か振り分けられ、一定数の「島」を担当します。冬ソナとかの人気台がある島は忙しかったです。
「島」のイメージとしては下記画像の感じ。横にこんな人が居たかはハッキリと覚えてない。ここは記憶と違うかも。向かい側の島にも店員は配置されています。
※パチンコ台の列の塊を「島」と呼びます
当たりが出ると島の外側にあるランプが点灯するので、当たった台に札を刺して、客に「おめでとうございます」っつって褒めます。そのときにドル箱も持っていくんだっけな。ランプが光ったときは基本的には客から近い店員が対応します。
あとは、客自身が店員を呼ぶことも当然あります。そういうときはだいたいドル箱が満杯になったときですね。満杯のドル箱を下ろして、空のドル箱を渡します。
で、先述したとおり、慣れてきたらマイクアナウンスも業務に加わりました。手が空いたときはマイクでイベントの案内してこの台がアツいですよ~的なアピールします。今のパチ屋ってイベントとか宣伝出来ないんだっけ?
スロットコーナーはベテランの社員が担当していたので、自分がスロットコーナーに入ることは殆ど無かった。
ごくまれに配置されましたが、スロットコーナーはドル箱運びが無いのでラクでしたね。目押しも一応学びました。北斗や番長、吉宗の目押しは出来ましたが、他の台の目押しは分からなかったので、そういうときはベテランを呼んで代わってもらいました。
余談ですが、スロットだと番長の「Distance」っていう楽曲が好きでした。大都技研の公式チャンネルが楽曲をアップロードしていたので紹介しておきます。
いや~、懐かしいなこの曲……。
ちなみに客から頼まれる目押しは何度かミスることも度々あって、そんときはまあ「申し訳ねー!」って感じでしたw
目押し頼むのはだいたいおじいちゃんおばあちゃんなので、失敗してもブチキレられることは無かったけど。
とまあそんな忙しい単純労働をしていました。
とにかくこのバイト、足が疲れます。ランプが光ったら素早く動かなきゃいけないし、重いドル箱運ばなきゃいけないしで。自分のバイト遍歴の中でもパチ屋はキツい部類に入ります。ゲームが趣味の自分でもゲームをやる余裕が殆ど無かった。
ただ、接客自体は嫌いじゃなかったです。客の対応で嫌になるってことはそんなに無かったと記憶している。他人とコミュニケーションを取るのは苦手な自分ですが、店員の仮面を被って働く接客業っていうのは嫌いじゃなかった。自分がやってたバイトは全て客と顔を合わせるものですし。
パチンコ屋の客ってヤバそうな人が多いイメージがあるかもしれませんが、自分の場合は殆ど見かけませんでしたね。一度だけ液晶ぶん殴って破壊した客を見たくらいです。
人間関係についても触れておきましょう。自分の場合は周りの人と特別仲良くは無かったです。パチ屋のバイトってパチスロ好きが多いんですけど、自分は全く興味無いのでそういう話には入れませんでした。かといってケンカするほど仲が悪いってわけでもなくて、業務上は差し支えのない人間関係でした。
パチ屋で働いてからはプライベートでスロットを2回打ちましたが、その2回目で止めました。1回目は普通に勝って1万円以上は稼げましたが、2回目で負けたときに「これはハマったらあかんやつだな」と思って、ギャンブルにのめり込むことは無かった。
バイト先の人と話しを合わせるためにも、と思って触ったんだけどね……。
まとめ:そして正社員へ
半年くらいかな?それくらい働いてからは正社員にしてもらいました。もともと正社員を希望して雇ってもらったので、念願叶って、ってところです。
まあ、すぐ辞めることになるんですけど、これは後半に続く。
後半では辞めた理由、どんな私生活を送っていたかに焦点を当てて語りたいと思います。
ちなみにグーグルマップで当時働いていた店舗を確認したら、いまだ健在でした。外観は変わっていなくて懐かしさを感じました。
ではでは。
正社員編が出る前に消されませんように…
正直なところゲームネタより好きです。笑
特に冒頭の『人生も終わりが見えてきましたし』が好きです。
ただ、働く中でたまにある休日が輝くようにゲ、ームネタの中にある日常の話だからより面白く感じるのかもしれません。
これからも引き続き応援しています。不快に思ったらこのコメントは反映頂かなくて結構です。
続きが気になります。
いつも思いますが、素晴らしい文才をお持ちだなと思います。
今は何歳なんですか?
興味深いです。後半が楽しみです。