――告白。
私はウメハラが嫌いである。憎んでいると言っていいだろう。
それはずっと心の中で思っていた。
何が嫌いかといえば、その全てである。見た目、中身、そしてその行動である……。
私は先日、意を決した。もはや決着をつけること以外に、この燃え盛る瞋恚の炎を消す手段はないと。
私はかれこれ6年、いやもう7年になるだろうか?とにかく、6年以上は確実に引き篭もっている。
彼女もいなければ仲の良い友人も一切居ない。深夜の散歩はすれど、スーパーやコンビニへの外出は月に1回程度。引き篭もりの究極形態とも言える存在が“私”である。
私の詰んでいる人生に恐れるものはない。もう“どうにでもなれ”というやけっぱちの感情も、今回の私の行動を後押しした。
この記事を読んでいる人が居たらあらかじめ言っておく。この記事を読むなら覚悟して読んでほしい。1字1字、しっかりと噛み締めて読んでほしい。私は、この記事を書くことによって自分の進退がどうなろうと、もうどうでもいいのだ。人生を棄てる覚悟でこの記事を書いた。
これでウメハラとの決着がつくのなら、もうそれでいいと……。
ここからいよいよ本題に入る。もう後戻りは出来ない。読み手がどれだけ不快な気分になろうと、私の責任の範疇ではない。
私とウメハラとの決着。それを見届ける覚悟がある人だけ、読み進めてほしい。警告はした。
……
…………
………………では、語るとしよう。
そんなわけで、ウメボシを先日買ってきたのである。
私は、ウメボシハラスメント(略してウメハラ)との決着をつける。
過去に語ったこともあるが、その記事を見ていなかった人のために、かいつまんで語っておこう。詳細を知りたければ関連記事に目を通してくれてもいい。
私は小学校1年生のときに、担任の教師からウメボシハラスメントを受けた。
給食で出た梅干しがどうしても食べられなかった。食べられなかったらどうなったかというと、単純に否応なく食べるしか無い状況に追い込まれたのだ。その教師は残すことを許さなかった。
給食の時間が終わり掃除の時間に移る。みんなが机や椅子を運んでいる中、私だけが椅子に座ってウメボシと対峙していた。食器は片付けられ、箸箱の上にポツンと置かれたウメボシは今でも思い出せる。
みんなが掃除している中、私は1人、椅子に座ってウメボシと対峙。多分、私が人生で初めて“屈辱”を感じたのは、この場面だったのかもしれない。
涙が出たのはウメボシを嫌でも食べなければいけないというその状況だけでなく、ウメボシが食べられなくて1人だけ他のクラスメイトと違うことをやらされているという屈辱感があったのだと、今は思う。
ここで味わった人生初の屈辱感が、もしかしたら私の卑屈な性格、そこから他人の目を気にするような、とにかく恥をかきたくない、という消極的な人生に至ったのかもしれない……。
結局、最後は泣きながら食べた。この出来事は完全にトラウマとなった。
その後、私は梅干しをいっさい口にすることのないまま人生を歩み続け、オッサンになった今に至る。梅干しから逃げ続ける人生だった。
コンビニ弁当等に梅干しがあれば、それを抜いた。梅干しの成分が付着した赤みのついた米すらも避けるほどに梅干しを嫌っていた。梅を抜く、つまり“ウメヌキ”である。
話を本題に戻そう。
私は、このトラウマとも言えるウメボシハラスメント(ウメハラ)と決着をつけることに決めたのだ。ウメヌキ(梅干し抜き)の人生に終止符を打つというわけだ。
買ってきた梅干しは9個入りで600円だった。結構高いが、この高い梅干しで美味しいと感じなかったのなら、それはもう私の負けである。
この梅干しを美味しく食べることが出来たら、私はウメハラに勝利したと言っていい。
この梅干しが不味くて食べれなかったとしても、残りの8個は親に食わせればいいから、それはそれで無職の自分が出来る数少ない親孝行になる。
さて、梅干しを1個取り出して、白飯の上に置いたわけだ。
「お前と真面目に向き合うのも小学1年生以来だな」
――心の中でそう呟いた。しかし、やはり受け付けない。
ウメハラ全てが受け付けないのだ。冒頭で言ったように、この赤々しい“見た目”、“中身”の酸っぱさ、そして教師がおこなった意地でも梅干しを食べさせるという私へのハラスメント”行動”。感慨に耽る間もなく小学生自体の嫌な思い出がフラッシュバックする。
すぐには箸を動かせなかった。過去のトラウマはオッサンになった今でも克服できないのか?
1分が経っただろうか。私は意を決して箸を動かし、梅干しを掴み、箸で裂き、その欠片を口に運んだ。
俺は梅干しを、そして過去のトラウマであるウメハラを克服出来るのだろうか。もしかしたら、梅干しを美味しいと感じるような舌になっていて、案外イケたりするのだろうか。
……
…………
酸っぱ!!マッズ!!!!
急いで白飯を放り込んだ。やはり白飯も用意していて正解だった。つらすぎて酸っぱすぎて不味すぎて額に手を当てる。
ムリだった。
良い歳したオッサンになっても、梅干しはムリだった。
残念なことに、俺の舌は全く進化していなかった。
しかし、これで残すのは流石にプライドが許さないので、あとはもう涙目になりながら掻き込みました。梅干しを白飯の中に隠蔽して、噛まずに飲み込んでいきました。それでもキツかった。
つまり、ウメハラとの戦いは俺の敗北に終わったのだ。
本当に涙目になりました。全く美味しくなかった。酸っぱくて、小学生の頃に味わった拷問そのものでした。
最後にこれだけは言っておく。
俺はまだまだウメヌキ(梅干し抜き)でいいや。
※浜田雅功の楽曲「チキンライス」風に読んでください。
以上です。
はちみつのやつちょうど良くて美味しいんだけどなー あかんかったか
梅干しでご飯一膳いけます
ダメでしたね……。
クソ記事だけど熱さが好きです。
梅干しって甘いのもあれば超酸っぱいのもあって、試食してから買いたいけど、試食が酸っぱかったらヤダから買えないというジレンマ
自分も、酸っぱさに特化したのは嫌だと思って「はちみつ」って書かれた少しでも甘そうな感じのを買ったのですが、全くそんなことはなく普通に酸っぱくてご覧の有様になりました。
やられました。
何か誤解を招いてしまったのなら申し訳ございません!